宇部市在住書家『池田知穂』公式ブログサイト
10月 30日(木)
夜もこのくらいになるとすっかり寒くて「冬支度」を考える今日この頃だ。
肩こりからくる頭痛持ちの私にとっては結構つらい季節かも...
秋らしい言葉を捜して本を開くと純粋で澄み切っている、だがそこはかとなく寂しいというか...
「神様の楽書として自分を全うしよう」という俳句に出会う。自分の生を神様の書いた楽書と観念
して生き抜くという、野心・欲望・喝采・失望等々そんなものとは無縁で透明な心とでも言おうか。
深秋の澄んだ空気にぴったりの...心が洗われる俳句だ。
10月 28日(水)
体は年をとってかなりくたびれているが、心はまだまだ...良い意味ではなく未熟ということ。
これでも悩み多く、悶々とすることもあるのだ。錬成会は展覧会出品のための作品づくりだった。
ただ書くぶんには楽しいが作品をつくるとなると大いに悩む。自分が思い描いたものとは程遠い
できばえに、自身も何も砂の城のようにハラハラと崩れていくのだ。
自分を信じて、そしてプライドを持ってただ無心で紙に向うのみなんだけど...
「雑草と呼ばれても本当は名前があるんだ」葉 祥明の詩
落ち込んでいるとき、私を元気づけてくれる詩のひとつだ。
10月 27日(月)
土日の錬成会を終えて...疲れたー...
体の疲れというか、首・肩の凝りから頭痛...目の奥も痛い、要するに良い所はない。
でも朝からちゃんと教室へ行き仕事はこなしている。
錬成会は体はきついが楽しいし、好きなんだろう。秋吉で桂雪先生とのコラボレーションをされた
画家の堀研先生途中もお見えになり画家の目からみた書の感想を聞いたりして興味深かった。
「樹神」と書いた私の作品から屋久杉を連想するといわれた。実際に屋久杉を見たことのない
私は返事に窮したが...
今日あらためて大木を頭に思いながら書いてみた、これは屋久杉というよりもっと若い樹を
思い浮かべて。ひとりよがりにならず広い視野を持たなければと思った錬成会だった。
10月 23日(木)
午前中の教室が休みだったので、せっせと仕事をする。
雑用を片付け、週末の錬成会の準備(紙や墨の準備)をする。
午後(と言っても夕方から夜にかけて)の教室、はじめは子供達だ。やんちゃ盛りの男の子が
何人かいるので気がつけば私の声はトーンがグンと上昇、腰痛・肩こりもどこかへ吹っ飛ぶ
勢いだ。まあ子供達から元気をもらっているというか...やれやれ今日も1日何の変りもなく
大真面目に終わった!この変りなくというのが幸せなんだけど...
「明日こそ、明日こそ何かを見つけるかしら?」なんて欲張りな私である。
10月 22日(水)
あー、今日も疲れた!今日はお休みしようか?と思ったが気を取り直して、精進。
「永楽」永遠に楽しい?いえ墨の名前だ。20年近く前に手に入れた私にとって初めての高価な墨
だった。にじみの美しさに魅せられて購入したものの、初めの頃は思うように墨の色が出てくれず
首をひねったものだ。師曰く「墨は書く人を選ぶ、墨色が出ないのは墨のほうが使い手より格が
高い。」のだそうで随分と悩み、どうしてなの?と頭にきてしばらく使わなかったり...
直径8センチ厚さは約1.5ミリの大きさの墨も色が思うように出ないで、今は3分の1程と小さく
なって、やっとこの頃少しは楽しむことが出来るようになったかな?奥が深いのだ。
10月 21日(火)
仕事から帰って桂雪先生の書作ビデオを見ていたらこんな時間に...というか日付が
かわっていた。
今日は「下弦」。下弦とは半月でお椀のような形をした月のこと、下弦だけで月を表すから
下弦の月なんて言葉は「頭痛が痛い」というのと同じで表現が変だとは思うが、下弦だけでは
どうも作品が作りにくくて、勝手に下弦の月とした。
外へ出てみると確かにお椀型の月があった。空が曇っているのかぼんやりと泣き出しそうな月
だった。忙しいと言いながらも筆を持つことのできる自分に空を眺めながら感謝!